
ある暑い夏の日のことである。
私は返却期限を超過してしまった本を返しに、大学の総合図書館に向かっていた。
私は図書館に行くと、読み切れないのについたくさん本を借りてしまう性分である。今回もまた、読み切れないまま期限を超過してしまった。これはおそらく親譲りの性分である。私の父もまた、図書館できっちり貸出冊数の上限までCDを借りる性分なのだ。
話がずれてしまった。私は図書館に向かっていたのである。
その日は本当に真夏日で、数歩歩いただけで汗が背中をつーっと伝い、頭もぼうっとしてきた。凄まじいセミの鳴き声を聞きながら、何でまたしてもこんなに本を借りてしまったのだろうかと後悔の念に打ちひしがれていた。
図書館の入り口に着き、図書館の中に入れば涼しい風に当たれるだろうと期待していたが、節電をしているせいか、ぬるい風が漂うばかりで、涼しいとはとても言えない状況だった。図書館は数年前からずっと改装中で、あちらこちらに工事中の布が被せてあった。図書館のカウンターに行き、期限超過のお詫びをしながら本を返した。
先ほど後悔したばかりなのに、せっかく暑い思いをしてはるばる図書館まで来たのだから、1冊くらいは本を借りて帰ろうと思い始めていた。それに、涼しいとは言えないが、外よりは陽射しもなくまだましだったし、すぐに炎天下の道に引き返そうという気にはなれなかった。
未だにWindowsXPからアップグレードしていない古ぼけた検索用のパソコンで、気になっていた本を検索する。検索の結果、幸いにもその本は4階の書庫にあることがわかった。おそらく冷房が効いていないであろう、熱気のこもったエレベータに乗るか、階段で歩くか― 一瞬悩み、たまには運動をしたほうがいい、と言い聞かせながら階段で歩くことにした。使い込まれて小豆色に変色したじゅうたんの敷かれた階段は、段差も小さいので足への負荷が小さく、自然と足取りが軽くなる。一気に3階までたどり着き、マップから4階への階段を探す。コンピュータルームの奥に4階への階段があるようだ。
コンピュータルームは、学期末でレポートの締切に追われている学生ですべての席が埋まっていた。扇風機が送るゆるやかな風に沿いながらコンピュータルームの奥まで行き、風化した階段を上る。思ったよりも長い階段だった。人気が全くないので、もしかしたら道を間違えたのかもしれないと思い始めたが、とりあえず階段を上り切ることにした。
階段を上り切ると、そこに書庫はなく、古い個室が連なっていた。個室にはそれぞれ閲覧個室1、閲覧個室2とプレートが貼られており、扉に付いた小窓から個室を覗き込むと、3畳くらいの部屋に使い込まれた机と椅子だけが置かれていた。図書館にこんな個室があったのか!と思いながら、私は吸い込まれるかのように一つ一つの個室を覗き込んだ。個室は14部屋ほどあった。
黄ばんだ紙が散乱した部屋、辞書並みに分厚い本が積まれた部屋、机に目覚まし時計だけがぽつねんと置かれている部屋…といろんな個室があったが、どの部屋も人がいなく、その様子は少し不気味だった。そのフロアは全く冷房が効いていなかったので、もしかしたらこの部屋はもう使われていないのではないか、図書館の工事で取り壊されるのかもしれない…と思った。
一番奥にある閲覧個室14に辿り着き、どうせこの個室も人がいないだろうと思いきり覗き込むと、気難しそうな老人が黙々と読書をしている姿が見えた。個室の中にはたくさんの本が積まれていた。
思わず「あっ」と声を上げてしまった。老人がこちらに気づき、本から目を離し、こちらにぎろりと睨みをきかせた。私はあわててお辞儀をして、その場から一目散に走り、階段を駆け下り3階に戻った。
とんだ災難だ。私は3階からエレベータに乗ることにした。エレベータでやっと4階の書庫に辿り着き、登録番号を頼りに目的の本を見つけ出した。あったあった。やっぱり最初からいつものようにエレベータに乗るべきだった。そう思いながらエレベータに戻り、4階から一気に1階に戻ろうとした。
しかし気持ちとは裏腹に、私は3階のボタンを押しており、気づけばまた先ほどの古ぼけた階段を上っていた。先ほど見た老人は現実にいたのか、なぜだかものすごく気になったのである。私は小走りで、しかし確実に、一つ一つの個室に人がいるのか確認した。まるで図書館のパトロールをしているかのように。
相変わらずどの個室にも人がいなかった。そして―閲覧個室14も、積まれていた本も老人も、跡形もなく消えていた。老人が数分のうちに数十冊の本を持って移動できるわけがない―そう思い、私は階段を下りて図書館のあちこちを歩き回った。しかしやはり、先ほどの老人はどこにもいなかったのである。
私は諦めて本の貸し出し手続きを済ませ、帰路についた。暑くて頭がぼうっとしていたのだろうか…。それでも、老人が私に向けたあのまっすぐな睨みは、どうしても幻とは思えなかったのである。
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