キャッチコピー応募の極意
- 2017/10/25
- 21:21
キャッチコピー。
それは日常のあらゆる所に存在し、さりげなく、しかし確実に、人を惹きつける言葉。
キャッチコピーを見て、なんでこんなキャッチコピーをつけたのかなあと考えるのが好きで、とくに電車に乗っている時や駅を歩いている時などは、広告のキャッチコピーを無意識に眺めるくせがある。
そして身近な出来事について、自分でも簡単なキャッチコピーをつけてしまうくせがある。
たとえば、プログラミングをがんばらないといけないときには、「開発フィーバー」とか「爆速で開発」とか、自分の状況にキャッチコピーをつけることで、自分を奮い立たせる。
たとえば、高校でマンドリン部の部長をやっていた頃。まさに青い春の時を過ごしていた私は、「今、私たちは自分たちの物語を奏でているのだ!」なんて意気込んで、定期演奏会のキャッチコピーにour storyとつけた。
と、キャッチコピーと私との関係はそんな感じで、度々キャッチコピーに応募しては、過去に密かに世に渡ったキャッチコピーもあったりするのですが、このたび、東大が創設140周年を迎えるそうで、東大のキャッチコピーを募集していたわけです。
これはもう私が応募せずして誰が応募する!応募せねば!と飛びついた私は、早速、われらが東大のキャッチコピーについてちょっと考えてみたわけです。
キャッチコピーの条件は、東京大学ビジョン2020という、新しい東大の指針を踏襲すること。
ちなみに今の東大のキャッチコピーは「世界を担う『知』の拠点から」らしい。
というわけで「世界を担う『知』の拠点から」をベースラインとして考えることにした。
しかし当然ながら、これがなかなか思いつかない。
とりあえずまず、ビジョン2020からキャッチコピーに入れるべきと思われるキーワードを抽出することにした。
自分的に抽出したキーワードは、「国際、多様、卓越、教育」といったところだった。
しかし、「国際性と多様性を考慮した、卓越した教育の推進」とつなげたところで、論文のタイトルっぽくはなるかもしれないが、キャッチコピーにはならない。
キャッチコピーはさりげなく、しかし確実に、人を惹きつけるものでないとだめなのである。
さりげなくというのは、直接的では押しが強くなってしまって良くなくて、人の心の奥にじわじわと共感を湧かせなくてはならない。
とはいえ、「銀杏並木はローマに通ず」とかさりげなさすぎる単語を並べたところで、何が言いたいのかよくわからないし、このさりげなさと確実さのバランスが難しい。
そう、実はもう、この東大のキャッチコピーの選考結果は出ていて、結果は×だった。
というわけでこのブログはそのキャッチコピーがなぜダメだったのかを反省するために書いているのですが、←
とくに、このさりげなさが、今回のキャッチコピーを考える上で、全然足りなかった気がする。
そして、さりげないキャッチコピーを作るには、キャッチコピーの対象に対する自分の気持ちが強すぎてはだめで、
少し自分の気持ちから距離をおいて、俯瞰的に対象を捉える必要がある。
つまり、たぶん今回の対象、東大に対する、自分の気持ちが強すぎたということだ。
もう一つの敗因は、今のキャッチコピーをベースラインにしたのだが、ベースラインに囚われすぎてしまったことだと思う。
ベースラインはまさしくベースライン以上の何者でもなく、それは超えるために存在するのだ。
ベースラインを超えるためには、ベースラインからも離れる必要がある。
自分の気持ちからもベースラインからも離れるというのは、なんだか自分の拠り所がなくて不安な動きになるのだけど、そういう不安に対して余裕を持って向き合うことで、創作は生まれるのではないだろうか。
うまく反省としてまとまらなかったけど、最後に、(読み返すと語呂もいまいちだしなかなか恥ずかしいことに気づいたので、載せるのが憚られたが、恥を偲んで)自分が考えたキャッチコピーと、そのキャッチコピーを考えた経緯とアピールポイント(これも記入必須だった)を載せて、このブログを締めるとする。
ちなみに、べりももにキャッチコピーを考えてもらいたいというお仕事の依頼は大歓迎です、ぜひお願いします←
Colour The World Knowledge, from Todai
東大から,世界の知を塗り変えよ.
日夜,大学の片隅で研究をしていると,時おり、自分が今生きているこの世界が,とても小さく感じられることがある.地球のあちこちで日々めまぐるしく様々な問題が起こっている中で,自分の今取り組んでいる研究が,本当にいつか,世界中の問題を解決できるほどのインパクトをもたらすことができるのか,と自信を失うことがある.しかし,そんな時に,ふと周囲を見渡せば,世界各国から選ばれた優秀な友人たちが,自分と同じように地道に研究に励んでいるではないか.何人もの友人たちが,自らの知を高め,広めるために,世界を駆け回っているではないか.大学で留学生たちとディスカッションしている時,世界的に有名な先生の講義を聞いている時,国際会議に参加して,世界各国の研究者が自分の書いた論文を読んでくれていることを知った時,自分が思っているよりも,世界は狭くないし,世界で起こっている問題は,そんなに自分たちから遠くないのだと感じる.世界は自分たちで変えることができるし,広げることもできる.世界はまだまだ,知識(Knowledge)を欲している.生きているからには,自分が今この世界に存在している証を,知識という形で世界に残してみませんか.このキャッチコピーでは,ここ東京大学で,世界各国から選ばれた優秀な学生たちと切磋琢磨しながら,自らの知を思いきり発散することによって,近いうちに必ず世界を変えてみせたいという,そんな学生の野望を表現してみました.
東大生ランキングに参加しています。いつも応援ありがとうございます!

それは日常のあらゆる所に存在し、さりげなく、しかし確実に、人を惹きつける言葉。
キャッチコピーを見て、なんでこんなキャッチコピーをつけたのかなあと考えるのが好きで、とくに電車に乗っている時や駅を歩いている時などは、広告のキャッチコピーを無意識に眺めるくせがある。
そして身近な出来事について、自分でも簡単なキャッチコピーをつけてしまうくせがある。
たとえば、プログラミングをがんばらないといけないときには、「開発フィーバー」とか「爆速で開発」とか、自分の状況にキャッチコピーをつけることで、自分を奮い立たせる。
たとえば、高校でマンドリン部の部長をやっていた頃。まさに青い春の時を過ごしていた私は、「今、私たちは自分たちの物語を奏でているのだ!」なんて意気込んで、定期演奏会のキャッチコピーにour storyとつけた。
と、キャッチコピーと私との関係はそんな感じで、度々キャッチコピーに応募しては、過去に密かに世に渡ったキャッチコピーもあったりするのですが、このたび、東大が創設140周年を迎えるそうで、東大のキャッチコピーを募集していたわけです。
これはもう私が応募せずして誰が応募する!応募せねば!と飛びついた私は、早速、われらが東大のキャッチコピーについてちょっと考えてみたわけです。
キャッチコピーの条件は、東京大学ビジョン2020という、新しい東大の指針を踏襲すること。
ちなみに今の東大のキャッチコピーは「世界を担う『知』の拠点から」らしい。
というわけで「世界を担う『知』の拠点から」をベースラインとして考えることにした。
しかし当然ながら、これがなかなか思いつかない。
とりあえずまず、ビジョン2020からキャッチコピーに入れるべきと思われるキーワードを抽出することにした。
自分的に抽出したキーワードは、「国際、多様、卓越、教育」といったところだった。
しかし、「国際性と多様性を考慮した、卓越した教育の推進」とつなげたところで、論文のタイトルっぽくはなるかもしれないが、キャッチコピーにはならない。
キャッチコピーはさりげなく、しかし確実に、人を惹きつけるものでないとだめなのである。
さりげなくというのは、直接的では押しが強くなってしまって良くなくて、人の心の奥にじわじわと共感を湧かせなくてはならない。
とはいえ、「銀杏並木はローマに通ず」とかさりげなさすぎる単語を並べたところで、何が言いたいのかよくわからないし、このさりげなさと確実さのバランスが難しい。
そう、実はもう、この東大のキャッチコピーの選考結果は出ていて、結果は×だった。
というわけでこのブログはそのキャッチコピーがなぜダメだったのかを反省するために書いているのですが、←
とくに、このさりげなさが、今回のキャッチコピーを考える上で、全然足りなかった気がする。
そして、さりげないキャッチコピーを作るには、キャッチコピーの対象に対する自分の気持ちが強すぎてはだめで、
少し自分の気持ちから距離をおいて、俯瞰的に対象を捉える必要がある。
つまり、たぶん今回の対象、東大に対する、自分の気持ちが強すぎたということだ。
もう一つの敗因は、今のキャッチコピーをベースラインにしたのだが、ベースラインに囚われすぎてしまったことだと思う。
ベースラインはまさしくベースライン以上の何者でもなく、それは超えるために存在するのだ。
ベースラインを超えるためには、ベースラインからも離れる必要がある。
自分の気持ちからもベースラインからも離れるというのは、なんだか自分の拠り所がなくて不安な動きになるのだけど、そういう不安に対して余裕を持って向き合うことで、創作は生まれるのではないだろうか。
うまく反省としてまとまらなかったけど、最後に、(読み返すと語呂もいまいちだしなかなか恥ずかしいことに気づいたので、載せるのが憚られたが、恥を偲んで)自分が考えたキャッチコピーと、そのキャッチコピーを考えた経緯とアピールポイント(これも記入必須だった)を載せて、このブログを締めるとする。
ちなみに、べりももにキャッチコピーを考えてもらいたいというお仕事の依頼は大歓迎です、ぜひお願いします←
Colour The World Knowledge, from Todai
東大から,世界の知を塗り変えよ.
日夜,大学の片隅で研究をしていると,時おり、自分が今生きているこの世界が,とても小さく感じられることがある.地球のあちこちで日々めまぐるしく様々な問題が起こっている中で,自分の今取り組んでいる研究が,本当にいつか,世界中の問題を解決できるほどのインパクトをもたらすことができるのか,と自信を失うことがある.しかし,そんな時に,ふと周囲を見渡せば,世界各国から選ばれた優秀な友人たちが,自分と同じように地道に研究に励んでいるではないか.何人もの友人たちが,自らの知を高め,広めるために,世界を駆け回っているではないか.大学で留学生たちとディスカッションしている時,世界的に有名な先生の講義を聞いている時,国際会議に参加して,世界各国の研究者が自分の書いた論文を読んでくれていることを知った時,自分が思っているよりも,世界は狭くないし,世界で起こっている問題は,そんなに自分たちから遠くないのだと感じる.世界は自分たちで変えることができるし,広げることもできる.世界はまだまだ,知識(Knowledge)を欲している.生きているからには,自分が今この世界に存在している証を,知識という形で世界に残してみませんか.このキャッチコピーでは,ここ東京大学で,世界各国から選ばれた優秀な学生たちと切磋琢磨しながら,自らの知を思いきり発散することによって,近いうちに必ず世界を変えてみせたいという,そんな学生の野望を表現してみました.
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