スターウォーズ最後のジェダイの考察
- 2018/02/10
- 15:40

お正月にスターウォーズ最後のジェダイを観た。観た直後のテンションの高いことこの上なく、勢いで考察を書いていたのだけど、うっかり一ヶ月以上下書きのままにしていたので、今更ながら公開する。
しかしこれだけでは何な気もするので、近年の本三日記の傾向に倣い、今年の誕生日について少し言及する。今年の誕生日当日は国際学会の論文の査読への対応に追われ、結局ずっと家にいた。対応完了間近になって、最大入力単語数が4000単語ではなく1000単語であるという痛恨のミスに気づき、その後死闘を繰り広げているうちに当日は終わった。無事提出できてよかった。。最大入力単語数はまじ大事!!しかしその後、ありがたいことに3度くらいお祝いしていただきました。ありがとうございました。写真はn度目のお祝いのときのケーキ。
というわけで以下考察。
スターウォーズ最後のジェダイを観てきたべりももですこんばんは。
ここ最近これまでのスターウォーズを観直していたわけですが←、今作はこれほどまでに感情移入した映画作品はあるだろうか、いや、ない!(反語)というくらいにいろんなキャラクターに感情移入してしまいました。映画を観終えてから既に数時間経った今でも呆然としている。というわけで精神を落ち着かせるためにも考察をおもむろに書き始めた次第である。
しかし映画の考察を書くときにいつも悩ましいことは、ネタバレなしで書くのが難しいということである。でも、観てない人にもぜひ読んでもらいたい!そしてスターウォーズ最後のジェダイを観てもらいたい!ということで新しい考察の方法を考えてみた。
・キャラクターの名前はすべてA,B,C...と毎回匿名化する。
・シーンの詳細は書かず、そのシーンにおけるキャラクターの心情の考察に徹する。
・ただし、象徴的なシーンについては、書いたところで何のシーンなのかわからないと思うので、書いても可とする。
・でもどうしてもあるシーンについて書きたくなったら、指示代名詞を多用してなんとかする。(ぇ
よし、これならわかる人にしかわからない映画の考察が書けるだろう!(本当か)というわけでとりあえずこのルールで書いてみる。
まず、スターウォーズシリーズには運命の分岐点みたいなシーンが色々とあって、どうしてこの人はこんな選択をしたのだろう、私だったらあの時ああして回避しているはずなどとあれこれと考えても、結局この結末がこの人の運命で、この人にとってどうしても避けられなかった結末なのだろうと解釈せざるを得ないシーンがあるのだが、今回もそういう運命的なシーンが多々あった。
でも、この結末はこの人にとって運命だったのだ、いやあ考えさせられますね、と最初からまとめてしまうとそれで考察が終わってしまうので、やはり色々とつっこませていただきたい。
1 真面目なのもほどほどにというお話
はじめに突っ込みたいのはAさんだ。Aさんはいわゆる歴史に名を残したスーパーヒーローなわけですが、ヒーロー引退後も自分の正義を貫くべく、弟子を鍛えることに自らの生涯を費やしたわけです。
しかしAさんは、スーパーヒーローが陥りがちないくつかの思想に見事にはまってしまっていて、その結果悲劇を招くことになるのであった。
その1つ目の思想というのは、「自分にできて弟子にできないことはない!」という思想である。Aさんはたぶん自分自身が若い頃厳しい修行を積んできたように、弟子にもすさまじいスパルタぶりで指導していたのだと思う。
2つ目の思想が、「物事には何事も白黒がある」という思想である。Aさんは物事の順序や伝統にこだわりすぎな節がある。この思想は、自分は歴史に名を残したという自負からも来ているのだろう。しかし、この思想は、ときに弟子にとっては重くのしかかる思想だ。そして、「まだ地平線があると思っているのか」というBさんのセリフによって、Aさんは自分がこの思想に陥っていることに気づくのだけど、このセリフは今作の個人的超名言だと思っていて、そういうわけでネタバレになってもやむなしということで、このセリフは書いてしまいましたごめんなさい。(ぇ
話がずれた。1つ目、2つ目と分けてしまったけど、これらの思考パターンには強い関連がある。つまりAさんは真面目で完璧主義すぎるのである。「〜しなくてはいけない」という自分ルールが多すぎるのである。自分ルールが多いと思われるシーンはAさんの衣食住の中にいくつも出てくる。
そして極め付けの3つ目の思想が、「人に間違いを指摘するけど、どこが間違ってるかを直接言ってしまったら本人のためにならないので、間違いを具体的には明らかにしない」という思想である。この思想の極みと思われるセリフが今作のもう一つの個人的名言であり、しかも2回も出てくるのだが、このセリフについてはさすがに伏せておくので、ぜひ劇場で確認してもらいたい。
そんなわけで、Aさんについた弟子たちはさぞかしつらい思いをしたのだろうと察する。しかし、色々つっこんでしまったが、Aさんの思想にも共感するところがあり、どの思想も自分自身もうっかりすると陥りそうな思想なので、気をつけたいとも思う。
2 自らの役割に気づくこと、そしてそれを全うすることが大切というお話
これは特に今作で描かれていた気がする。すべてのキャラクターについて、なぜここでこんなことを言ったのか、あんな行動を取ったのか、と違和感を感じたシーンは、自らの役割を全うするというテーマによって回収されていく。
3 人工知能が年々すごくなっているというお話
毎回かわいすぎるし優秀すぎて我が家にも一台欲しいドロイドだが、今作ではとくにドロイドの活躍がすさまじい。ドロイドの活躍なくしては宇宙は滅びていたのではと思う。これは人工知能の研究が年々すごくなってきているのを反映しているのではないか。
4 守りたいものがあると人は弱くなるというが、そこでどうするかで運命は変わるというお話
このお話もスターウォーズシリーズの各所で訴えているお話ですが、守りたいものは弱みとなり、たいてい敵につけこまれることになるわけです。
守りたいものは人でもあり、ものでもあり、概念でもある。名誉、期待、伝統、形見の品、お金、家族、恋人、チームメイト。
そんな各々の守りたいものについて、おそらく確かなことなどは何一つない。すぐに消えて無くなるかもしれないし、裏切られるかもしれないし、そもそも、そんなものは存在しないのかもしれない。けれども、守りたいものは存在すると信じたい。しかし、この守りたいものが確かなものではないことに対する迷いが弱みとなる。たしかに、確かなことなど何一つないのが真実だと思うが、自分が正しいと思うことを信じる、迷いに惑わされないことが大事だということを、今作では様々なシーンで教えてくれる。特に印象に残ったシーンはCさんが合わせ鏡の中にいるシーンだ。迷いは己の欲でもある。欲は際限がない。その際限のなさが合わせ鏡として表現されている。
5 しかし、迷いが人と人とをつなげるときもあるという話
迷いは運命を狂わせうるものだが、全く悪いものというわけではない。自分だけが抱えていたと思っていた迷いは、他の人も同じような迷いを持っているかもしれなくて、そのことは人と心を通わせるきっかけになる。DさんとEさんが手を合わせた瞬間、両者の迷いは同じ類の迷いであるということに二人とも気づいたはずである。その迷いとは、衆に抜きん出ることによる孤独や不安だ。そんな迷いをなくすのではなく、コントロールする、これがスターウォーズシリーズで強調されている「バランス」ではないだろうか。次作は本シリーズの最終作となるが、次作ではこの二人の迷いがコントロールされて、宇宙に平和がもたらされることを祈るばかりである。
最後に、秀逸すぎる考察記事を紹介する。この考察もこの考察記事の影響を受けている気がする。ネタバレ注意。
結果的にネタバレになってしまった気もしなくもないけど、落ち着いてきたのでこの辺で。うーむ、もう一回観たい!(落ち着いていない
追記:
誕生日に奮闘した国際学会の論文が採択されました!採択率の低いトップカンファレンスの一つなので嬉しい。ありがとうございました。
何かを犠牲にすると何かが得られるということは美談にしてはいけないが、ある面における真実なのかもしれない。
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