time after time
- 2023/08/31
- 23:57

久しぶりにブログのような文を書いてみるかという気持ちになったので、ブログに載せるかはわからないが書いてみる。
前回、noteも作ってみたのだが、自分の長年のブログ精神とはやっぱり何か異なるものがあり、長年細々と続けているこの本郷三丁目日記に書いてみる次第である。
何かやっぱりnoteは自分の人生や経験に基づくライフハックやtipsを人に共有するという目的で作られている感じがして、日々ぼんやりと無意識に考えていたことに対して言語化を試みるような、私の内省の極みみたいな文はしっくりこない感じがするのだ。
最近、spotifyのお気に入りの音楽リストを作るのにハマっている。
このspotifyのお気に入りの音楽リストのすごいところは、自分の好きな音楽をお気に入りリストに追加していって、スマートシャッフルという機能を有効にすると、自分の好きな音楽をランダム再生してくれるだけでなく、諸処に自分が好きそうな新たな音楽をレコメンドしてランダム再生してくれるのだ。
これがまたドンピシャで自分の好きなテイストの音楽だったりするので、新たにそれをお気に入りの音楽リストに追加する…などをやっていくとどんどんお気に入りの音楽リストが私向けに最適化されていくというわけである。
やっぱり類は友を呼ぶ(?)じゃないけど、音楽の好みが似ているユーザーが聞いている音楽はやっぱり私にとっても好きなテイストの音楽になるもんなんだなーと思う。
レコメンデーションシステムの協調フィルタリング恐るべし、である。
今日もスマートシャッフルを聴きながら、私と音楽の好みが似ているユーザーは一体どんな人で、世界中にどれくらいいるのだろうか、とふと思うことがあった。
たびたびいろんなところで書いているけれど、私の音楽の趣味は父の影響が大きい。
私の父は家でも車でも音楽をかける人で、私は物覚えのついた頃からいつも父の流す音楽を無意識にか意識的にか聴いていた。
そして音楽と思い出との結びつきは深く、例えば小学2年生のころに夏に家族で行った伊豆旅行の時、車でかかっていたWorkshyの"fascination"と伊豆の景色が最高にマッチしていて感動したのは今でも鮮明に覚えていて、それからというもののしばらく私は車で父に「聞きたい音楽はある?」と聞かれた時には必ず「わーくしゃい」と答えていた。
Workshyの"fascination"は今でも私の夏のベストソングの1つで、夏になるとリクエストするし、もちろんspotifyのお気に入りの曲リストにも入れている。
話がずれたが、「どうしてこんなマイナーな曲を知っているの」とか「選曲のセンスがいいね」とか言われることはたまにあるものの、父のせいにするわけではないが、物覚えのついた頃からマイナーな音楽ばかりを聴かされていたおかげで、なかなか私の音楽の趣味に完全に合う人には現実には出会ったことがない。
それでもスマートシャッフルは今日も私のお気に入りリストを最適化してくれていて、きっと世界のどこかには私とかなり音楽の趣味が近い人がきっといるのだろう、と思わずにはいられない。
自分を知ることと他人を知ることというのは、全く正反対の所作であるものの、つくづく表裏一体の所作だと思う。
他人と関わることで、自分にはこんな面もあったのかと気づくことができるし、また私も他人にそういう気づきを与えられるような人間でありたいと思う。
一方で、私にしかわかりえない私はいるし、もちろん私と完全に同じ人間はいないし、私と完全に分かり合える人間もいないのだろう、とも思う。
私自身、自分がどういう人間なのかいまだに全貌を把握できていなくて、時には自分がわからなくて困ることもある。
それでも自分がどういう人間なのか知りたくて、たまに自分の日記を見返してみたりすると、やっぱりあんまり根本は変わっていないのかもな、という気持ちになる。
そして、結局わからないことはわからないままかもしれなくても、自分のことも他人のことも、知りたいと探求し続けることは、それなりに意味があるのかなとも思う。
例えば、人にはどんなに変えようと思っても変えられない部分と、努力次第でいくらでも変えられることがある。
自分が変えられることが何で、変えられないことが何かということは、強い気持ちで変わろうと思い続けない限り、きっと忙しい日々の中で、気付きすらしないだろう。
ここまで書いていて、去年の夏車の教習所でお世話になった教官に何度も言われた言葉を唐突に思い出した。「行き先を見ないと行きたいところには行けない。行き先は自分が思っているよりももっとずっと先の方だ。逆に、ずっと先を見ていれば自分の視野が広がって、近くを見ていたら見えていなかったところも見れるようになるんだ。」
そういえば今月から准教授になったのだった。忙しいときに限ってブログを更新してしまう癖は、私の変わらないところの一つだ。
私はこれからもずっと先を見て走り続けてみようと思う。