映画の感想その1
- 2011/03/29
- 16:01
久しぶりにここ書くぞうー!
まずは被災者の方々へ。
心よりお見舞いを申し上げます。
一日も早い復興をお祈りいたします。
随分前に書いた映画の感想を今更ながら記録しておく。
この春休みは専ら映画ばかり見ていた。記録しないと忘れそうなぐらいに。
映画の感想メモ
・ソーシャルネットワーク
フェイスブックの創始者がフェイスブックを作るまでの道程を描く
「フィクション」。
まず、アメリカの大学生活ってこんなにクールで危険なのかと思った。
私には無理だーと思ったがちょっとうらやましいとも思った。
誰ひとり登場人物の中で「いいひと」がいなかった。
主人公のマークも決して「いいひと」ではない。
でもなんか私は同情してしまった。しかし一緒に映画を見ていた母は
同情できない、むしろひどい人間だ、なぜ同情するのか?と反論していた。
このように感想に違いがあるのは、マークについては
2通りの解釈ができるからだと思う。
ひとつに、マークはとても賢く、さらにずる賢く、
友人を巧みに徹底的に利用し、利用できなくなったら裏切るような人物であるという解釈。
もうひとつに、マークはとても賢いが、
フェイスブックや自分の興味あることに集中してしまうがためにとても空気が読めなくて、
人間関係について非常に不器用であり、そんなつもりはなかったが、
結果的に友人や彼女を裏切ることになってしまうような人物であると解釈できる。
私は後者で解釈してしまった。
マークは本当はただちょっとフェイスブックを発明してふられた女の子や
軽蔑する女子達を見返したかった、人と仲良くしたかっただけなのかな、と。
ネタばれになるけど、最後にマークがふられた女の子も
フェイスブックを始めていて、勇気を出して友達リクエストをして、
ひたすら更新ボタンを押すシーンが一番面白いと感じた。そしてちょっと共感したw
それからナップスターの創始者ショーン・パーカーを
ジャスティン・ティンバーレイクが演じていたのにはびっくり。
こんなプレイボーイな起業家はクールすぎるだろうと思ったw
実際本物のショーン・パーカーはこんなにクールじゃないと自ら語っていた。
さらに実際のマークは「いいひと」という話も聞く。
・ヒアアフター
あらすじをみて、なんか井坂幸太郎の小説のあらすじみたいだなと思い、
井坂幸太郎の小説が好きなのできっとこの映画も自分に合っていると思って見に行った。
死に近い、しかし生き延びている3人の物語が、ゆっくりゆっくりと交錯する映画だった。
人気アナウンサーのマリーは不倫相手のディレクターと旅行中、
津波に遭い一命をとりとめたが、そこで体験したhere afterの世界について
想いにふけることがあり、アナウンサーの仕事にも集中できず、
一度アナウンサーの仕事を休業し、執筆活動に励む。
ある場所から一度離れると、二度ともとには戻らないのは
人生の一種の規則であるように思う。かつて自分がいたポジションには
必ず別の人間が入るのだ。SMAPは「もともと特別なオンリーワン」と
歌っていたけれど、現実はそんなに甘くない。
自分の代わりになれる人間なんていくらでもいるし、
自分が考え付くようなことは他の人でも考えられる。
「オンリーワンにならなければ」、という焦燥はかえって醜い。
しかし、考え方を変えれば、「天才も凡人も同じ人間である」とも言えるが。
つまり、天才にしか考えられないこと、というものはない。
そしてこの映画の中でも、
一度アナウンサーの仕事を休業してしまったマリーの居場所には
新しいアナウンサーが入り込む。仕事においても、恋愛においても。
悲しみを越え、マリーはhere afterについて調査し、本を執筆する。
ジョージは小さい頃高熱を出し脳腫瘍ができ、一命をとりとめた。
それ以来、here afterの世界の人々と交信できる能力を持った。
その能力を使って仕事をしていたが、段々苦しくなり、仕事にできなくなった。
死者の言葉を聞くことができる力、その能力は一見すばらしいように思えるが、
本人にとっては呪いでしかなかった。
この感覚はわかるようでわからない。SPECでも「特殊能力を持つ者は
誰にも理解されず、孤独なのだ」というようなエピソードがあった気がするが、
誰も自分のことを完全には理解してくれない、
という人間の心の奥底は万人共通にある気がする。
でも、程度の差はあるだろうな。
自分にしかない力があると、その分孤独感が増すのか…。
マリーとジョージはその点で対照的だが、孤独である点は共通している。
そして実際、ジョージは死者の言葉を聞くことができる力があったがために、
料理教室で知り合ったメラニーと恋仲になれそうになったのに、なれなかった。
双子の兄ジェイソンを交通事故で亡くした弟、マーカス。
薬と酒漬けになっていた母親が更生するところで
ジェイソンが亡くなってしまうのはなんとも痛々しい。
マーカスはジェイソンに依存していた。
宿題を見せてもらうシーンや写真を撮るシーンでうまく描写されている。
ジェイソンともう一度話したいと思うマーカスは、
里親のお金をぱくっていろんな霊能力者に会いに行く。
うさんくさい霊能力者がたくさんでてくるシーンはちょっと面白かったw
ジョージとマリー、マーカスはブックフェアで1つにまとまる。
こんな偶然はなさそうであるのかもしれない。
ジョージを介したマーカスとジェイソンの「再会」はちょっと泣いた。
ここ一番泣くシーンだと思う。そしてジョージの前向きな嘘もいい。
ジェイソンがマーカスの帽子をとろうとした、助けるのはこれまでだ、
というエピソードもいい。運命とはやはり、必然的なものかもしれない、と思わせる。
3人の人生はすでに前向きに動き始めている。
結末で、ジョージはhere afterの世界だけでなく未来を見る。
やっぱり井坂幸太郎の小説のようだった。
どこか共通しているようでばらばらの3人の人生がひとつに収束し、
前向きな未来を思わせる。
物語に大きなうねりはないものの、しみじみと心に刻まれる映画だった。
時折BGMに流れるラフマニノフのピアノがまた素敵だった。
まずは被災者の方々へ。
心よりお見舞いを申し上げます。
一日も早い復興をお祈りいたします。
随分前に書いた映画の感想を今更ながら記録しておく。
この春休みは専ら映画ばかり見ていた。記録しないと忘れそうなぐらいに。
映画の感想メモ
・ソーシャルネットワーク
フェイスブックの創始者がフェイスブックを作るまでの道程を描く
「フィクション」。
まず、アメリカの大学生活ってこんなにクールで危険なのかと思った。
私には無理だーと思ったがちょっとうらやましいとも思った。
誰ひとり登場人物の中で「いいひと」がいなかった。
主人公のマークも決して「いいひと」ではない。
でもなんか私は同情してしまった。しかし一緒に映画を見ていた母は
同情できない、むしろひどい人間だ、なぜ同情するのか?と反論していた。
このように感想に違いがあるのは、マークについては
2通りの解釈ができるからだと思う。
ひとつに、マークはとても賢く、さらにずる賢く、
友人を巧みに徹底的に利用し、利用できなくなったら裏切るような人物であるという解釈。
もうひとつに、マークはとても賢いが、
フェイスブックや自分の興味あることに集中してしまうがためにとても空気が読めなくて、
人間関係について非常に不器用であり、そんなつもりはなかったが、
結果的に友人や彼女を裏切ることになってしまうような人物であると解釈できる。
私は後者で解釈してしまった。
マークは本当はただちょっとフェイスブックを発明してふられた女の子や
軽蔑する女子達を見返したかった、人と仲良くしたかっただけなのかな、と。
ネタばれになるけど、最後にマークがふられた女の子も
フェイスブックを始めていて、勇気を出して友達リクエストをして、
ひたすら更新ボタンを押すシーンが一番面白いと感じた。そしてちょっと共感したw
それからナップスターの創始者ショーン・パーカーを
ジャスティン・ティンバーレイクが演じていたのにはびっくり。
こんなプレイボーイな起業家はクールすぎるだろうと思ったw
実際本物のショーン・パーカーはこんなにクールじゃないと自ら語っていた。
さらに実際のマークは「いいひと」という話も聞く。
・ヒアアフター
あらすじをみて、なんか井坂幸太郎の小説のあらすじみたいだなと思い、
井坂幸太郎の小説が好きなのできっとこの映画も自分に合っていると思って見に行った。
死に近い、しかし生き延びている3人の物語が、ゆっくりゆっくりと交錯する映画だった。
人気アナウンサーのマリーは不倫相手のディレクターと旅行中、
津波に遭い一命をとりとめたが、そこで体験したhere afterの世界について
想いにふけることがあり、アナウンサーの仕事にも集中できず、
一度アナウンサーの仕事を休業し、執筆活動に励む。
ある場所から一度離れると、二度ともとには戻らないのは
人生の一種の規則であるように思う。かつて自分がいたポジションには
必ず別の人間が入るのだ。SMAPは「もともと特別なオンリーワン」と
歌っていたけれど、現実はそんなに甘くない。
自分の代わりになれる人間なんていくらでもいるし、
自分が考え付くようなことは他の人でも考えられる。
「オンリーワンにならなければ」、という焦燥はかえって醜い。
しかし、考え方を変えれば、「天才も凡人も同じ人間である」とも言えるが。
つまり、天才にしか考えられないこと、というものはない。
そしてこの映画の中でも、
一度アナウンサーの仕事を休業してしまったマリーの居場所には
新しいアナウンサーが入り込む。仕事においても、恋愛においても。
悲しみを越え、マリーはhere afterについて調査し、本を執筆する。
ジョージは小さい頃高熱を出し脳腫瘍ができ、一命をとりとめた。
それ以来、here afterの世界の人々と交信できる能力を持った。
その能力を使って仕事をしていたが、段々苦しくなり、仕事にできなくなった。
死者の言葉を聞くことができる力、その能力は一見すばらしいように思えるが、
本人にとっては呪いでしかなかった。
この感覚はわかるようでわからない。SPECでも「特殊能力を持つ者は
誰にも理解されず、孤独なのだ」というようなエピソードがあった気がするが、
誰も自分のことを完全には理解してくれない、
という人間の心の奥底は万人共通にある気がする。
でも、程度の差はあるだろうな。
自分にしかない力があると、その分孤独感が増すのか…。
マリーとジョージはその点で対照的だが、孤独である点は共通している。
そして実際、ジョージは死者の言葉を聞くことができる力があったがために、
料理教室で知り合ったメラニーと恋仲になれそうになったのに、なれなかった。
双子の兄ジェイソンを交通事故で亡くした弟、マーカス。
薬と酒漬けになっていた母親が更生するところで
ジェイソンが亡くなってしまうのはなんとも痛々しい。
マーカスはジェイソンに依存していた。
宿題を見せてもらうシーンや写真を撮るシーンでうまく描写されている。
ジェイソンともう一度話したいと思うマーカスは、
里親のお金をぱくっていろんな霊能力者に会いに行く。
うさんくさい霊能力者がたくさんでてくるシーンはちょっと面白かったw
ジョージとマリー、マーカスはブックフェアで1つにまとまる。
こんな偶然はなさそうであるのかもしれない。
ジョージを介したマーカスとジェイソンの「再会」はちょっと泣いた。
ここ一番泣くシーンだと思う。そしてジョージの前向きな嘘もいい。
ジェイソンがマーカスの帽子をとろうとした、助けるのはこれまでだ、
というエピソードもいい。運命とはやはり、必然的なものかもしれない、と思わせる。
3人の人生はすでに前向きに動き始めている。
結末で、ジョージはhere afterの世界だけでなく未来を見る。
やっぱり井坂幸太郎の小説のようだった。
どこか共通しているようでばらばらの3人の人生がひとつに収束し、
前向きな未来を思わせる。
物語に大きなうねりはないものの、しみじみと心に刻まれる映画だった。
時折BGMに流れるラフマニノフのピアノがまた素敵だった。